家族との距離感、自分時間の守り方、そして“老い”との向き合い方。
暮らしの途中でふとこぼれる心の声を、そのまま綴っています。
誰かの共感につながったらいいな、と思いながら。
離れて暮らしている孫になかなか会えないのは、やっぱり少し辛いものです。
抱っこできる距離にいない寂しさや、「今どんな表情をしているのかな」と思う瞬間は、ふとした拍子に胸に広がります。
今日の一滴:孫の写真
それでも救いなのは、毎日のように届く写真や動画。
スマホを開くたびに、そこには昨日より少し大きくなった孫の姿があります。
笑った顔、眠そうな顔、何気ない仕草ひとつひとつが、こちらの気持ちをふわっと和らげてくれます。
「あ、こんなことができるようになったんだ」
「この表情、誰に似たのかな」
画面越しではあるけれど、成長を見守れている実感があって、不思議と心は満たされます。
会えない時間は確かに寂しい。でも、その分、写真一枚、短い動画一本でも宝物のように感じられるのです。
離れているからこそ、小さな成長がより愛おしく、
今日もまたスマホを手に取ってしまう——
そんな日常が、今の私のささやかな癒しになっています。
きっと慌ただしい毎日の中で、時間をつくって写真や動画を送ってくれているのでしょう。
そう思うと、お嫁さんには感謝しかありません。
当たり前のように受け取っているこの癒しは、誰かの手間と思いやりの上に成り立っているのだと、改めて感じます。
そんな時、ふと自分の過去を思い出します。
若い頃、お姑さんとは自然と距離を置いていた自分。
忙しいから、なんとなく気が重いから——
今思えば、ずいぶん身勝手な理由だったかもしれません。
30数年経って、立場が変わって、
ようやく気づくことがあるなんて——
人生は、本当に後から教えてくれるものですね。
会えない時間の切なさと同時に、
過去の自分をそっと振り返り、反省し、
そして今ある関係に感謝する。
この気持ちもまた、
今の私の日常の一滴なのだと思っています。
久しぶりの孫との対面にやらかしました。気になる方はこちらから→
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
