日常の一滴|私も振り返る、30周年のポケモンとともに

日常の一滴

ポケモンが30周年を迎えたというニュースを見て、ふっと時間が巻き戻った。

出来事や物にひもづいた記憶というのは不思議だ。
写真よりも、日記よりも、ずっと鮮明に残っている。

「親までも夢中にさせたなあ」としみじみ思った。
――いや、正確には親のほうが夢中だったかもしれない。

初代の ポケットモンスター 赤・緑。
小さな画面にかじりついて、図鑑を埋めることに必死になっていたのは、息子だけではなかった。

あの頃はインターネットも今ほど身近ではなく、
「幻のポケモン」という響きには、本当に特別な重みがあった。

中でも ミュウ は別格。
雑誌のプレゼント企画を見つけたとき、真っ先に食いついたのは私だった。

早朝から並び、長蛇の列の最後尾へ。
「本当に手に入るのかな」
「ここまで来たんだから絶対にもらう」
なぜか使命感に燃えていたのは私1人。

ようやく手に入れたときの達成感。
あれは子どものためというより、自分の戦利品のような高揚感だった気がする。

ところが、1週間後。

「欲しいポケモンと交換した!」

満面の笑みの息子。

一瞬、耳を疑った。
あの行列は?
あの苦労は?
あの“幻”は?

「もう手に入らないよ」と思わず声が強くなる。
けれど、すぐに気づく。

それは息子のゲームだ。
息子の世界だ。

私は頼まれてもいないのに、勝手に首を突っ込んで、
勝手に価値をつり上げて、
勝手に惜しんでいただけ。

息子にとっては「今ほしいもの」がすべて。
幻かどうかなんて、きっとどうでもよかったのだろう。

あのときの私は、
子どもの楽しみと自分の満足の境目が、少し曖昧だった。

子育ては、手をかけることと、手を引くことのバランス。
正解なんてないのに、いつも答え合わせをしてしまう。

「あれでよかったのかな」
「もう少し任せればよかったかな」
「でも並んだ時間は、あれはあれで楽しかったな」

今はそんなふうに、少し笑いながら振り返ることができる。

あの頃のゲームボーイと
初代の「赤・緑」は、今でも整理ダンスの奥で静かに眠っている。

もう電源を入れることはないかもしれない。
けれど、あの小さなカセットの中には、

幻のポケモンよりも、
もっと消えないものが入っている。

夢中だった時間。
子どもと同じ目線になれた瞬間。
30年という年月は長いけれど、思い出は色あせない。

もしかしたら本当に幻だったのは、
ミュウではなく――少しだけ空回りしていた若かった私かも。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

成長した息子の話も書いています。記事はこちらから→

発酵食品が好きなので、ちょっと気になりました。



tomo

こんにちは、アラカン主婦のtomoです
還暦を迎えて年金生活へと突き進んでいます。
趣味の編み物と0から始めたパソコンで毎日が加速傾向です。
「なぜか時間がない」という理由(自己中)で手抜き料理の毎日です。

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