家族との距離感、自分時間の守り方、そして“老い”との向き合い方
家族との距離感、自分時間の守り方、そして“老い”との向き合い方。
暮らしの途中でふとこぼれる心の声を、そのまま綴っています。
誰かの共感につながったらいいな、と思いながら。
還暦を機に仕事を辞め、リタイヤ生活に入りました。
気づけば、もう2年目です。
もっとノンストレスな毎日が待っていると思っていたのに、
どうも、そう単純ではありません。
ノンストレスのはずが、なぜかモヤモヤする理由
私がリタイヤしたのと同じタイミングで、
長年の単身赴任を終えた夫が家に戻ってきました。
さらに、30代になった息子は仕事が忙しくなり、
生活リズムもバラバラ。
その2人のペースに、
なぜか私が振り回されている……
そんな気がするのです。
でも、正直なところ——
振り回されているのか、
それとも自分から飛び込んでいるのか。
その境界線が、どうにもはっきりしません。
忙しさが消えたあとに、見えてきた“老い”
もうひとつ、思いがけず直面した現実があります。
忙しく働いていた頃には、
気づかないふりができていた「自分の老い」。
これが、想像以上にパンチがありました。
毎日じゃなくていい洗濯物の量なのに、
なんとなく集めては洗濯機を回してしまう私。
足りないような、
でも満たされているような。
そんな曖昧な気分のまま、
風になびく洗濯物を眺めて一休みすると——
「あぁ、こういう時間、悪くないな」
と思えたりもします。
ところが、現実は静かに追いかけてくる
洗濯物を干し終えて部屋に戻ると、
洗濯カゴの中に、ぽつんと一枚のシャツ。
「え……洗い忘れ?」
自分の詰めの甘さを責めかけた、その瞬間。
廊下の奥から、のんきな声が聞こえてきました。
「それもお願いね〜!」
……返事なんて、できるわけありません。
誰もいなくなったあと、
なんとなく納得できない気持ちを抱えたまま、
それでも私は黙って手洗いしてしまう。
そして、心の中でつぶやくのです。
「私って……偉いなぁ。」
「振り回されている」のか、「自分から背負っている」のか
この境界線は、今日も曖昧なまま。
深く考えなくなったのは、
もしかしたら“老いの始まり”なのかもしれません。
でも——
まぁ、いっか。
最近は、そんなふうに
少し力を抜いて暮らしています。
同じように感じている方へ
もし、
家族との距離が近すぎると感じていたり、
自分の時間がどこかに消えてしまったように思えたら。
それは、あなたが弱いからでも、
我慢が足りないからでもありません。
「暮らし方が変わる時期」に
ちゃんと立っているだけ、なのだと思います。
私はまだ、正解を見つけられていません。
でも、無理に答えを出さなくてもいいかな、と
最近は思っています。
皆さんは、
家族との距離を、どう保っていますか?
ちょっとした工夫や、
心の逃げ道があれば、教えてもらえたらうれしいです。
今日も、読んでくださりありがとうございました。

