【日常の一滴】情緒不安定な日々も悪くない ― 人生の節目に立ち止まる還暦の私

日常・雑記

還暦をひとつの節目に、仕事を辞めた。
「少し休もう」と思ってから、気づけばもうすぐ3年。
「元気なうちは働くべき」「健康のためにも働いたほうがいい」――そんな言葉が、心に響くことがある。
自分の選んだ道は正しかったのか。
その問いが、いつも心のどこかで静かに揺れている。

朝はちゃんと起きる。洗濯もする。ごはんも作る。
外から見れば、以前と何も変わらない「普通の毎日」なのに、心の中はどうにも落ち着かない。

「で、毎日何やってんの?」

家族に悪気はないと分かっている。
ただのいつもの冗談ということも。
それでも、真に受けて胸の奥を見透かされたような、妙な焦りが湧いてきたりする。

その焦りに突き動かされるように、家中を狂ったように掃除する日がある。

かと思えば、一日中ほとんど椅子から動かず、YouTubeの自動再生に委ねて終わる日もある。

「今日はどこか行こう」と思い立ち、気づけば電車に揺られて見知らぬ駅まで来ていたり、
なぜか気が大きくなって、高級スイーツをいくつも抱えて帰ってきたり。

夕食を全部お惣菜で済ませて、「今日はこれでいいや」と思う日もあれば、
そんな自分を「だらしない」と責めてしまう夜もある。

振り返ると、どう考えても情緒が安定しているとは言いがたい。
極端で、振り幅が大きくて、自分でも少し呆れるほどだ。

でも最近、ふと思った。
これって、もしかしたら「人生の節目」なんじゃないか、と。

そう考えると、少しだけ気が楽になる。
怠けているわけでも、迷っているわけでもなく、
ただ「人生の節目」に差しかかっているだけ。

自分のせいじゃない。
環境のせいでもない。
「人生の節目」という、大きくて便利な言葉のせいにしてしまえばいい。

変な解釈かもしれない。
都合のいい言い訳かもしれない。

それでも、そう思うことで心が少し軽くなるなら、それでいいんじゃないかと思っている。

今は、答えを出す時期じゃない。
落ち着かなくて、揺れていて、極端で、どうしようもないこの感じも、
きっと今しか味わえない「途中」なのだろう。

今日も私は、「今の生活」の中で、右に行ったり左に行ったりしながら、
自分なりの着地点を探している。

これもまた、暮らしの途中でこぼれた「日常の一滴」。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

tomo

こんにちは、アラカン主婦のtomoです
還暦を迎えて年金生活へと突き進んでいます。
趣味の編み物と0から始めたパソコンで毎日が加速傾向です。
「なぜか時間がない」という理由(自己中)で手抜き料理の毎日です。

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