家族との距離感、自分時間の守り方、そして“老い”との向き合い方。
暮らしの途中でふとこぼれる心の声を、そのまま綴っています。
誰かの共感につながったらいいな、と思いながら。
昼食後の無の時間に”うたた寝”が習慣づいてしまっています。
「んが~っ」と自分のいびきで目が覚め「今日もやっちゃった」と意味なく反省する日々です。
今日の一滴:「うたた寝」の代償?
ある日いつもの「うたた寝」の時間に宅急便が届く。
むくっと立ち上がり1歩踏み出した途端、
足元の自分のスリッパにつまずいて転んだ。
「ヤバい・・・」
ゆっくり体を起こして、まずは自分の体を点検。
手首よし、膝よし、腰…たぶん大丈夫。
ギリギリ両手をついたので大事には至らなかった。
荷物を受け取り、床に転がったスリッパを見て「今の本気で転んだよね?」と
なんとも言えない気持ちになった。
若いころなら、つまずいても立て直せた。
転びそうになっても「おっとっと」で済んだ。
でも今は違う。
「転びそう」ではなく、「ちゃんと転ぶ」。理由ははっきりしているわけじゃない。
寝ぼけていたかもしれないし、運動不足かもしれないし、
ただ単に、年を重ねたということなのかもしれない。
それが少し、いや、正直に言えばかなりショックだった。
夕方になって、いつものようにパタパタと動き出したころ。
足? 足首?
「……なんか痛い」
さっき転んだときは、手をついたし大丈夫だと思っていた。
でも違った。
慌てて靴下を脱いでみると、足の甲のあたりが思いっきり腫れている。
え? こんなに?
思わず声が出た。正直、かなりショックだった。
その日は湿布を貼って様子を見るしかなかったけれど、
次の日、さらにショックが待っていた。足の甲から指にかけて、見事なまでに真っ青。
痛みよりも、色よりも、
「こんなになるまで気づかなかった自分」に、ぞっとした。
最近、何もないところでつまずくことが増えた。
それが気になって、散歩も始めた。
少しでも足腰を鍛えようと思った矢先の出来事だった。
なのに、だ。
気をつけているつもりでも転ぶ。
静かに、でも確実に後ろから追いかけてくる「老い」を感じて、
少し怖くなった。
大げさかもしれない。
でも「転ぶ」という出来事が、
「この先の自分」を急に現実的に見せてきた。
転ばないようにすること。
無理をしないこと。
そして、ちゃんと自分の体の声を聞くこと。
それはもう、気合や根性の話じゃない。
生活そのものを、少しずつ見直す時期に来ているのかもしれない。
皆さんの健康法ってありますか?
今日も読んでくださり、ありがとうございました

